なぜ禁断の移籍と呼ばれる? レアル バルセロナ間の歴史が関係?

世界屈指の強豪レアルマドリードとバルセロナ
このチーム間の移籍は昔から禁断の移籍とされタブーである
試合を見ればわかる通りこの2チームの直接対決はいつも荒れていて過去にはイエローカード8枚、レッドカード1枚が1試合で飛び交うほどである
またかつてバルセロナからレアルに移籍したルイスフィーゴはクラシコ戦でバルセロナサポーターから大ブーイングを浴び、会場にはゴミが投げ入れられた
目次
なぜ禁断の移籍と言われるのか

この2チーム間で禁断の移籍と言われる理由は歴史が関係しいるかもしれない
1936年に起こったスペイン内戦である
スペイン内戦
出典:コトバンク
1936年に左派の人民戦線内閣が成立したのに対し、軍が反乱を起こし、内戦となった。軍内で台頭したフランコが独伊の支援を受けて首都に進軍、39年に人民戦線を敗北させた。フランコは総統として75年の死去まで独裁政権を維持。
この内戦で勝利し、現在のスペイン首都マドリードで独裁政権を貫いたフランコが死去するまでの間カタルーニャ市民に対してひどい仕打ちをしたのが事のほったんであると思われる
内戦で敗戦した側の本拠地の一つにカタルーニャのバルセロナがあった
フランコ側からすればカタルーニャ人は敵であり、邪魔な存在
いつまた牙をむくかわからないので徹底的に虐殺を繰り返した
罪なき人が殺され、幼い子供までも殺された
ひどい時はカタルーニャ人が生んだ子供を拉致し、フランコ側が育てたと言う
理由はフランコ政権反対派が育てれば反対派の考えを受け継ぐからである
またスペインは多民族が集まった国である
当時スペインが一つになる前スペインは5つの国であった
ちなみにスペイン国旗のエスクード(シンボルのようなもの)はそれぞれの国が合わさって出来ている
その中の一つがカタルーニャである
知っている人もいると思うが、カタルーニャにはカタルーニャ語がある
フランコ側はカタルーニャ語がわからなかった為、反乱を防ぐ意味も込めてカタルーニャ語の使用を禁止した
この内戦で起こった出来事がきっかけでカタルーニャとマドリードは現在でも強く意識しあう中なのではないかと思う
禁断の移籍の矛先はクラシコへ

レアルマドリードとバルセロナの1戦はクラシコと呼ばれてる
クラシコと言えど、どちらもスペイン国内のチームなのでサポーターはもちろんスペイン人が大半である
サポータから見ればクラシコはサッカーの試合と同時にマドリードとカタルーニャの歴史上の対決でもある
スペイン人ではないメッシやモドリッチらは無関係だが、サポータの熱量が彼らに闘争心を植え付けているのではなかろうか
ジェラールピケとセルヒオラモスの不仲説

ジェラールピケとセルヒオラモスはスペイン代表でコンビを組む世界トップクラスのディフェンダーだ
だがクラブでは敵同士
ちなみにピケはバルセロナ生まれである
この2人不仲説は性格的な問題もあると思うが、歴史が拍車をかけているかもしれない
禁断の移籍とは? レアルマドリード、バルセロナ間の歴史が関係?まとめ
禁断の移籍と言われるバルセロナ、レアルマドリード間の移籍
スペイン内戦が影響していると断言は出来ないものの可能性は十分にあると言えるだろう
白熱するのはいい事だが、怪我には十分注意してもらいたい
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